皆さんご承知の通り、緊迫したイラン情勢という地政学リスクを受け、原油・諸物価高騰が続いている今日この頃です。直接原油に関する重油・ガソリン・軽油etc…は勿論のこと、諸物価も然り、玉突きのように電気料金、ガス料金の高騰も確実視されているところです。
「何とかしてくれ!」「いつまで続くのか!」との声が多くの人から、聞こうと意識せずとも聞こえてくる状況です。
しかしそんな中、金に糸目はつけないとばかりに買われるものがあります、それがトイレットペーパー。
当ブログでは私個人の「なぜ?どうして?」を記事にすることが多い(2つ目の記事ですが)ため、これは私が不思議に思うだけかもしれませんが、この記事ではそのトイレットペーパーが買い占められる構造を考察していきます。
まずは歴史を遡ると、1973年の第1次オイルショック時のトイレットペーパー騒動、これは聞くところによると当時の買い占めは、大阪の主婦の『うわさ話』が発端だった、と聞きます。SNSなどない時代、そうしたある意味でのデマゴギーを端緒として狂騒というか、パニックが起こったのも致し方ないのかなというか、実際に起こった。
それからしばらくして、コロナ禍の際にもパニック買いが一部発生したと認識している。
翻って今のそれはどうかと見ると、先手を打つように経済産業省がSNSで「(トイレットペーパーの)原料は国内回収古紙やパルプで、中東依存のものはほぼないため、直接の影響はありません。増産余力も十分にあるため、購入にあたり正確な情報のもと冷静なご判断をお願いします」と呼びかけている。
時代が変わり、”正しい情報”が認知されるようになった現代においても、何故こうも人の、というか日本人の行動は変わらないのか。
メーカー自体も、危機感を感じた消費者からの問い合わせに鼻をほじりながら「供給ショックはあらしまへん」と言っているのにも関わらず、だ。
考えるに、第一段階は噂でもデマでも良いが、そういう空気感が生まれる、少なくとも聞いたことがあるというレベルにある程度なるんだと考える。それでも、その第一段階が広まったところで、パニック買いは起こりにくい。
第二段階、「今の世の中そんなことがある訳ない、メーカーも言ってるじゃないか。気にせず買い物行こう」と行ったスーパーでトイレットペーパーが品切れ、棚ガラガラな状態を目にし、可視化される。「そんなことがある訳ない」と行っていた人の、何かのスイッチが入る。もうそこからは早い。「俺はそこまで危機感は感じてないよ」と平然を装いながらも、何軒か入った店で在庫があれば、「まあ念のため」と購入することは想像に難くない。つまり安心のため。
つまり、供給に何ら問題がない状態で買い占めが起こるのは、人々の「認知(の変化)の問題」だと言える。そうでなければ、理論上供給に問題がないのだから、説明がつかない。まあもしくは、昨今の世の中を考えれば、「転売」という線も考えられるが、一線級のメジャーな要素ではないような気がする。
構造としては、そんなところだと思うが、私にはどうにも腑に落ちない、理解出来ないことがあり、これはもう触れてはいけない人間の闇の領域にもかかるのかもしれないが、それは、「そんなにトイレットペーパーって大量に消費し、そして不可欠なものなのか?」という疑問だ。
「先日都内の公園のトイレにおいて、トイレットペーパーが無いために◯◯小学校に通う〇〇君が命を落とすという痛ましい事件が起きました」などというニュースは聞いたことがない。もしかして私が知らないだけかもしれず、老若男女関係なく、日々こうした死亡事故は起こっているのかもしれない。人間の闇と言わず、オールドメディアの闇なのかもしれないと言ったら飛躍しすぎとあなたは笑うだろうか?皆さんのトイレットペーパーへの執着を考えれば、飛躍とも言い切れないことは明らかだろう。

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