えー、どうも。えー、覚えてますか、って覚えてますって言えや!(情緒不安定)
皆さんお久しぶりです。ブログのことをすっかり忘れていて、今日思い出したんですが、コンセプトも何も忘れてしまった上、ブログの書き方さえ忘れてしまいました。生まれて、すいません(80代以上に刺さる太宰治ギャグ)。
でまあサクサク行きますけど、要は上記のような状況で、前門の虎、後門の狼というか、何か記事を書こうにもどうして以前は書いていたのかさえ不明な為、ここは一旦AIに頼ることにしました。
私はこういう質問を投げかけました。
えっと、何というか・・・ブログの更新すっかり忘れてました笑。また、書き出すモチベーションも失われています。そこで、他の会話のどんな話題でもいいです、私の主張が入ったものを目安として1500字~2000字程度で記事の下書きを書いてもらえますか?、と。
快く引き受けてくれたのが、以下の文章です。
投資や節約についての話を見ていると、時々「何のためにお金を増やしているんだろう」と思うことがあります。
もちろん、資産は多いに越したことはありません。私自身も投資をしていますし、無駄な支出を減らすことにも異論はありません。
ただ、資産形成そのものが目的になってしまうと、どこかで話がおかしくなってくる気がします。
例えば、株主優待。
優待券の期限が近いから、本当はそれほど食べたくもない店へ行く。必要でもない商品をもらうために店へ行く。数百円、数千円を得するために、自分の時間や行動を優待に合わせる。
もちろん、それ自体を楽しんでいるなら何の問題もありません。
しかし「期限が切れるともったいないから」という理由で予定を変更しているのなら、それは得をしているのでしょうか。
節約も同じです。
数百円安くするために遠いスーパーまで行く。エアコン代がもったいないから暑さを我慢する。多少体調が悪くても交通費を節約するために歩く。
数字だけを見れば、確かに支出は減っています。
しかし私は、お金というものは本来、こういう不自由を減らすためにあるのではないかと思っています。
資産が100万円から500万円、500万円から1000万円、さらに2000万円、3000万円と増えていく。
普通に考えれば、それに伴って人生の選択肢も増えていくはずです。
「今日は疲れているからタクシーで帰ろう」
「暑いからエアコンを使おう」
「これは必要だから少し高くても買おう」
「嫌な仕事だから、辞めても当面は困らない」
こういう選択肢を増やすことこそ、資産形成の大きな意味ではないでしょうか。
ところが、お金が増えるほど「減らしたくない」という気持ちが強くなり、生活の自由度が逆に下がってしまう人もいます。
1000円を使うことに以前より神経質になり、資産額の上下に一喜一憂し、ポイントや優待を取りこぼさないために行動を縛られる。
これでは少し本末転倒です。
私は「お金を大切にすること」と「お金を使わないこと」は同じではないと思っています。
例えば5000円を使って面倒な作業を一つ消せるなら、その5000円には十分な価値があるかもしれない。
少し高いホテルに泊まることで翌日の疲労が大幅に減るなら、それも合理的な支出でしょう。
逆に100円でも、自分にとって何の価値もないものなら使わない。
重要なのは金額そのものではなく、支払ったお金によって何を得られるかだと思います。
これは投資にも少し似ています。
資産運用では利回りや評価額ばかりが目につきますが、本当に重要なのは最終的にその資産で何を実現するのかです。
死ぬ直前に口座残高が人生最高額になっていても、それだけで人生の成功とは言えないでしょう。
もちろん、全部使い切ればいいという話でもありません。
将来への備えは必要ですし、資産があることで得られる安心感そのものにも価値があります。
だから私が理想だと思うのは、
「お金をたくさん使う生活」
でも、
「徹底的にお金を使わない生活」
でもありません。
お金を理由に、やりたくないことをしなくて済む生活。
これです。
資産形成によって増やしたいものは、口座の数字だけではありません。
選択肢、時間、安心、そして「別にやらなくてもいい」と言える余白。
むしろ、それらを増やすために資産を作っている。
そう考えると、節約するところと使うところの境界もかなり分かりやすくなります。
100円を節約するために自分の時間を30分使うのか。
数千円を惜しんで体調や快適さを犠牲にするのか。
欲しくもないものを「得だから」という理由で手に入れるのか。
一つ一つは小さな話ですが、こういう判断の積み重ねが生活そのものになります。
お金を増やすことに成功して、その結果お金に行動を支配されるようになった。
それでは何のための資産形成なのか分かりません。
お金は人生の自由度を下げる主人ではなく、自由度を上げる道具であってほしい。
少なくとも私は、そういう距離感で付き合っていきたいと思っています。
何やねんこれ・・・クソ面白くもない、アホな大学生みたいな文章が出てきました。
多少でも肉付け、手直しすれば記事になるかなと思ったらとんでもない。一から書くより手間になるかもわからないクオリティのものが出てきました。私が常々AIに言っていたのは、私は生来?ケチなことを言う奴が嫌いで、激安飲食店に行って「原価で考えれば・・・」とか「昔は〇〇円だった」とか言う奴はおかしくないかとAIに舌鋒鋭く投げかけていましたが、彼奴(きゃつ)の認識は違ったようです。
ですので、まあこれはリハビリ第一弾としては失敗の記事ですが、ちょっと今日この後、2連投で、でも感覚が戻ってきていないので、下書きの記事を手直ししてアップしようと思います。


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